シリスの混乱が落ち着きを見せた頃を見計らって、テッドはシリスのだらりと下がった肩に手を置き乱暴に揺さぶった。 彼を待つ間にテッドは近くに転がるいくつかの水晶を見て回っていた。 そのどれもシリスが離れないままの水晶と同じく、差はあるが人ほどの大きさで、それらにもやはりそれぞれの水晶の中で男達が静かに瞳を閉じてそこにいた。 見たところテッドの知っている顔はいない。 かろうじて見えた装備からほとんどが騎士団の面々のようだ。 おそらくシリスならば彼らの名前を知っているのだろう。 「シリス・・・落ち着いたか?」 テッドが近くに座り、その顔を覗き込むように話しかけるとシリスはじっと見開いてた青い瞳を伏せ戸惑いを隠さないままに頷いた。 「あ・・ああ。」 青白い顔に汗が滲んでいた。頷いた拍子にすっとそれが頬を撫で下ろすように落ちる。 「他の水晶も、中に人が・・・」 「そうか・・・悪い。」 「慕っていた人のそんな姿を見れば誰だって動揺するもんだ、あまり気にするな」 シリスの肩をぽんぽんと軽く叩き、テッドは立ち上がる。 それに倣うようにシリスも立ち、辺りに転がる水晶たちを見回した。このどれもに人が入れられていると思うと吐き気に押しつぶされそうになる。 一見透明度が高い美しい水晶のように感じられる、しかしその大きさの水晶は中にいくほどにその緑は色濃いものとなる。 気分が悪くなるほどの毒々しい緑。その中にグレンが、見知った誰かが眠っていると思うとシリスは恐怖のような・・それを遥か突き通した憤りを覚えた。 「一体何が起こっているんだ・・・」 「俺にも分からない。だけどこれってどう考えてもただの討伐任務どころのものじゃないだろ・・」 お互い答えを見つけられないままに言葉を溢す。 「今回の任務は予想外ばかりだ・・・。もっと時期を読んだ方が良かったのかもしれない」 眉間に深い皺が寄り、虚ろな青い瞳が苦しそうに細められながらもグレンの水晶を見つめていた。 「時間だけの話でもないだろ。」 反面、テッドの瞳は理知的な光に満ちていた。シリスの狼狽に対しテッドは一瞬の驚愕の後冷水のようにその思考は冷えていた。 「むしろ時間を置いたことによって魔物が知恵と力をつけていたら?ま、こんなこと、今考えても仕方が無い事なんだろうけどな」 既に事は局面に。 「・・・・。あれだけの騒ぎだったのに。」 テッドは静かな声色で呟いた後にシリスの背に自分の背を預けるように立ち、辺りを注意深く見回した。 「今は何の気配も感じられない。」 闘いのものに限ったものではない。人のざわめきも、動物達の気配も、討伐対象であった魔物も。 黙りこくったままのシリスは苦いものを飲み下し、言葉を継ぐかのように言う。 「討伐メンバーは恐らく・・団長達のように水晶漬けにされているのかもしれない」 「その可能性は高いな」 テッドは頷き、肩越しにシリスを見た。 その顔は見えない。ただその背はまっすぐに伸び金茶の頭はまっすぐ前を見ているようだった。 ようやく落ち着きを取り戻してきたようだ。 出口側を向いていたシリスは考える。 おそらく、森の中にもう動いている人は居ない。シリスたちはここに至るまでの道のりは注意深く危険を避け、ちぐはぐな道を選んでやってきた。 自分達よりも奥に進んだものも居ないだろう。逸れたシリスたちとは違いほとんどの統率は崩れていなかったはずだ。 ここまでの異変にグレンが気づかぬはずも無いだろうから、彼がここに捕らわれたままということは伝令を出す隙も与えることなくこの惨事が起こった。 ならば森から討伐班が逃げられているとは思えない。 大体どうやってこんな奇妙なことができた。そしてこんな前例も無いことの前触れに誰が気づくことができる。 やはり、逃げられない。 自分達が無事だと言うことは謎だが。しかし、絶望的だ。 「とりあえず森を脱出しよう。」 「そうだな。この人たちはどうするんだ?騎士団員だろう」 「ここに置いていくしかない。何が起こるかわからない森の中ではどう考えたって邪魔になる・・・だけだ」 目に焼きついて離れないグレンの顔が脳裏をちらつく。しかしどうすることもできない。未知の怪奇が起こっている中足手まといを担いで行く事はできない。 「わかった。まあ、この水晶大分丈夫なみたいだからな。生半可な力じゃ砕くこともできないだろう。ある意味安全だ」 どんな作用があるか分かったものではないけど。テッドが声に出すことをなかったその言葉をシリスはひしひしと感じていた。 とにかくこの問題を騎士団に報告して対策を立てなければならない。それこそ国に報告しなければならない事態だ。 この怪奇が森の外に、街まで至っていたらと思うといてもたってもいられなかった。 シリスは逸る気持ち落ち着かせるようにゆっくりと呼吸を繰り返す。 警戒しながら進んでいるが、どうやら仲間達の水晶化と同じくして魔物たちも姿を消しているようだ。どこかに潜んでいることだろうとは思うが、やはりこの事態の原因と考えていいようだ。 時々見かけるあの水晶の緑、今まで剣を向けていた獣たちの毛と爪の色によく似ている。ただ瞳だけは禍々しい赤色をしていたが。 いこう、 そう振り返り言ったシリスの青い瞳は、長い前髪の隙間から確かな光をちらつかせていた。 二人が森の出口、元居た拠点にたどり着いたのはそれからしばらくしてからのことだった。 相変わらず森は怖いほどに静まり返ったままで、それでも二人は息をつめたまま慎重に行動していた。 シリスは無言で拠点を見回す。 此処までの道中と同じように数個、水晶が転がっている。 「やはりここも・・・」 「まあ期待はしていなかったけどな」 テッドの言葉にシリスは無言を貫いたが、胸のうちでは同感であったと呟いた。 森の外に目をやると、森と大差ないほどの暗闇が広がっている。 空が開けているだけましだろうか、微かに月明かりで濃淡の翳りがあった。 向こうに見える明かりはラズリル。 そんなに距離があるわけではないが、こんなに遠いものだったろうか。 一際大きな光源は監視塔のものでそれは海のほうを向いている。町並みの街灯やちらほらのと灯る窓から漏れる光。 どれも身近なものだった、それらと一緒にいつも耳にしていた漣はあまりに遠すぎてこの森にいるシリスには聞こえては来ない。 森から出る前に二人手分けして物資を探り、回復薬などの補充を行った。 今のところ水晶に捕らわれた彼らには無用の長物であろう。 「こんなもんかね、」 「ああ」 テッドは矢を補充し魔力の回復も終えた後、ゆっくりと立ち上がりシリスに確認するように目をやった。 立ち上がったテッドを見て頷いたシリスは森の奥をじっと見つめた後に、ラズリルへ続く街道に向かおうとした。 しかし、それは思わぬ障壁に阻まれた。 目の前に微かな揺らめきを感じたシリスは不思議に思いながら前方に手を伸ばす。 バチッと微かな音と共に指先に痛みを感じた。その瞬間、 「なんだ!?」 「シリス!?」 シリスが触れた部分から波紋が恐ろしい速さで広がる。それは目の前を覆い尽くしたあと頭上へ、ついには森の木々に阻まれ行方を追うことはできなかった。 「結界・・!?」 なんとかして・・・・と思考する暇も与えずに、今まで恐ろしいほどに凪いでいた森中の気配が一気に騒ぎ出す。 獣達の唸る声がすぐ背に忍び寄る。 そう簡単には逃がしてはくれないということだろう。むしろこれは、 「罠ってやつかもな」 シリスの思考の後を継ぐようにテッドが木々の陰に揺れる無数の影を睨みつけながら呟く。 グルルルルルルルゥゥゥゥゥ・・・ 目前で獣の唸り声を聴いたと思った瞬間、無数の緑の粒子が二人に向かって襲い来る。 それはどんどん近づくと共に駆ける緑の獣の姿に変わりゆく。獰猛な爪が、二人に襲い掛かる。 ぎりぎりでその禍々しい爪をかわし、矢をつがえるテッドの横でシリスも素早く剣を抜いた。 20120427 ストックを全投下しました。 この後は真っ白です・・・・マジで真っ白です・・・・ 一文字たりともありませんとも・・・ 20140417 ← → novel |