(前)


 シリスは海水に指をちょんっと一瞬浸した。
 跳ねる小さな飛沫に笑み、ゆっくり立ち上がった。

 流れ着いたのはあの時と同じ小さな無人島だった。


 あの時、罰の紋章を使い海に落ちた後、シリスは波に運ばれた。時々うつらうつら意識が浮上するのを感じ、優しく身を撫でる波になにか意思のようなものを感じることもあった。

 打ち上げられた先は、この無人島。
 さらさらの白い浜辺に立ち上がり、海を振り向いた。
 晴れ晴れしい青い海が波打ち、陽の光がちらちらと輝いた。

 全てを、捨ててきた。
 何もかもを、置いてきた。

 今のシリスは罰の紋章、自分の二本の剣。いつでも身に着けていた装備と赤い鉢巻。

 身に纏うそれだけを持ち、あとの全てのしがらみを置いてきた。
 ある意味身一つでこの無人島に流れ着いたのだ。

 何も、ない。
 空っぽになった自分を感じて、シリスはすうと息を吸った。

 このまま浮いていってしまいそう。とっても軽い。

 初めて、自分だけの存在を感じていた。

 あの時、この無人島に初めて流れ着いたあの時とは比べ物にならない。何もかも、違う。
 黒い、暗さを身に孕んだ絶望。大事な人々を無くした絶望。
 様々な感情、環境に雁字搦めなっていたためか体や意識が重く感じていた。


 暗い思いを、置いてきた。

 シリスは砂浜をぐるりと歩き、流れてきた自分の装具を粗方拾い終えた後、木々の生える密林に足を踏み入れた。
 とりあえず燃えやすい枝を集めつつ進み、高台を目指した。

 振り向いた先に、振り向いてみるとこの島が一望出来た。その向こうには深く青い海が。白い雲が浮かび、覗く空と日の光。
 柔らかに風が髪を撫でた。

「なんか・・・長閑だなあ」

 シリスは笑み、両手に枝を抱えながらもう一度高台を降りて密林を通り、浜辺の側の岩場に寝床を見繕い火をおこした。
 双剣を横に置き焚き木に向かい膝を抱えるように座った。
 生活用水、木の実などを調達している間に、いつの間にか日は暮れ紫の空に白い星が瞬いていた。

「これから、どうしよう・・かなあ」

 オベルに帰ろうとは、なぜか思えなかった。
 彼らは確かに自分を受け入れ、そしてシリス自身彼らを受け入れ慣れ親しんだ。苦境を共に乗り越えてきた欠けてはならない仲間、宝の数々。
 あの時感じた気持ちや、思い出を全て捨て置こうとは思わない。しかし、自分がまたあの場所へ姿を現すことで一つのバランスをくずしてしまうような気がした。
 この・・・・・

 シリスは自分の左手を見つめた。

 呪われし紋章を。



 僕は一生この手に掴んでいく。




 数日はあっけなく過ぎてしまった。
 日にち曜日の感覚は無いが、太陽の巡る数を数えていると無人島に流れ着いたのはシリスが知る限りもう数週間前なのだと思う。
 毎日密林を散策し、食用になる植物を探したり、狩りを行ったりと一人で黙々と作業しているうちに日々はあっという間に過ぎてしまったのだ。

 そろそろこの島に居るのも潮時か・・そう考えていた矢先、沖にこの目に馴染んだ船を見つけてしまった。

 あれは・・・・

 密林の木々の合間から船の動きを見ていると、どうやらこの島に上陸する素振りを見せている。
 ただの哨戒の一端なら良い。しかしなにか目的を持って行動しているとなると・・・。それがシリス・・・罰の紋章である可能性は限りなく大きい。
 やばい。
 無視することの出来ない胸騒ぎを感じる。予想とは違う、何か確実になるものを感じた。

 とりあえず、隠れておこうか。
 地の利はどう考えてもこちらの方にある。
 上手くいけば存在を悟らせることも無く、過ぎ去って行ってくれるかもしれない。

 無人島に人の気配が増えた。
 今まで自分ひとりしか居なかった島に、人のざわめきを感じることに少し不思議な感覚を覚えたが、姿を見られないように細心の注意を払いながら密林を出て、岩場の近くにある洞窟の入り口に向かった。

 地底湖に続く洞窟を足音を立てないように意識して奥に向かった。


 しんと静まり返った洞窟の最奥、地底湖の水は清く透明な青い光をごつごつとした岩肌の壁や天井に揺らめかせ映し出していた。
 転がる岩の一つに腰掛け、小さくため息をついた。

 これから、こんな風に逃げ隠れしながら生きて行くのかと思うとめげる。
 しかしこれが自分の選んだ道だし、他になにを選べばよかったのかもわからない。

「・・・っ」
 入り口のほうから、硬質の足音と微かな雑談の声が聞こえた。ここまで、来るか・・・?
 だんだんと近づく複数の気配にシリスは身を硬くし、あたりを見回す。
 ここには何も無い。
 小さな岩陰などならあるが、大の男が隠れることなど出来ない。

 迫る足音に、シリスは息を詰めた・・。




「やはり、いないか・・・・」
 地底湖の前に立ち、一人の青年は呟いた。
「岩陰にかすかな生活の跡があったからもしかしてと思ったんだけどな・・・」
「副団長、戻りますか?」
「そうだな。先に行ってくれ。少しここで休んでから行く。」
「しかし・・・」
「ここは、少し思い出深い場所なんだ。少し眺めたら行く。」
「はっ」
 青年の言葉に、部下らしき数人の男達が礼を取り引き返していく。
 青年はそれを眺めた後、ため息をつき先程シリスが腰掛けていた岩にゆっくりと座る。青く揺れる光に照らされた天井を見て、また溜息をつく。


 静かな時間は、水の打つ音で途切れた。
 ゴボっと白い気泡が立ったかと思うと、飛沫を上げて青年が現れた。
 激しく波打つ水面に揺蕩う金茶の髪を見て、青年は切なげに笑った。

「いいのか、シリス。見つかりたくなかったんだろう?」
「君なら、ケネスならわかってくれると思ったから。」
 雫の滴る艶やかな絹髪から、表情の薄い清い水の青の瞳が覗いていた。
 シリスは髪を退け、額をあらわにする。ゆっくりと岸に近づき座ったままのケネスの前まで行く。
「ごめん」

 瞳を細め、ケネスはシリスを見上げた。

「今は、とても平和だ。時々思い出したように小さな騒ぎが起こるけど、戦争の傷はだんだんとすこしずつ癒えていってるよ。」
「そう。」
「オベルの王様も、お前を探そうとしていたがな。今はまだ国のほうが大変らしくて身動きが取れないらしくてな。」
「窮屈そうな顔をしてるんだろうね、目に浮かぶ。」
 シリスは肩を震わせておかしそうに笑い、静かな湖面を眺めた。
「スノウは?」
「ラズリルで一般市民として暮らしてる。だんだん市民達にも受け入れられてきているよ」
「そう。良かった。」

「・・・・・。」
「シリ・・・」
「あの人は・・・・、」
 必死な顔をして、湖面を見つめる。その青から目を放すのが恐かった。
 切なげな顔をするシリスを見つめ、ケネスはその頭にぽんっと手を乗せた。
「テッドか?」
 シリスが頷く。
「居なくなったよ。お前が、海に落ちた後。誰も姿を見ていないらしいんだ。多分、港に着いてすぐに船を下りたんだろう。」
「僕は・・またあの人を傷つけてしまったかな。」
 膝に顔を埋めシリスは言った。顔を伏せ背を丸めるシリスが道に迷う幼い子供の様に目に映る。
「なら、慰めに行けばいい。」
「え・・」
 丸い瞳がケネスを見つめる。きょとんとしたその表情はまるで猫のようだ。
「まったく、ほっとけないな」
 笑い、ケネスは勢い良く立ち上がった。
「さて、行くぞ。」
「え・・でも僕は彼らに姿を見せるわけには・・」
「あいつに会いたいんだろう?」
 ケネスははっきりと笑い、自分の荷物の中から布を取り出した。


    2007.5.2
     ED後。妄想。
     次への旅たち。
     ラプソ設定は微妙にあったりなかったり?





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