おそい春



 私はかつて、ある女性と生活をともにしていた。
 私はまだそのころ、幼い少年だった。
 まだ親を必要とする年頃だったが、ともに生活していたその人は私の親ではなく、姉でも妹でもなかった。
 血縁者でもない女性と私は、吹雪の吹き荒れる、枯れた土地の小さな小屋に住んでいた。

 そのころ私は、魔法使いではない魔力を持つ者だった。
 異端児であった私を育ててくれたその女性は、私と同じく異端で迫害される象徴、魔女だった。
 私は彼女から、生き抜く術と魔力の使い道、魔法を学んだ。
 春の来ない、冬の土地で、私は彼女から今用いる物のすべてを学んだのだ。

 彼女は明るく爽やかな性格であったが、里へ降りることを嫌っていた。
 彼女が生まれて間もない頃、不思議な力を持つ彼女を肉親は忌み嫌いまだ言葉も覚束ずたって歩くことさえ危ういというのに廃材の山に置き去りにしたのだ。
 夜の冷たい風、凍えるほどの冷ややかな雨に打たれ泣く彼女に村の人間が見向きするはずもなく、彼女はあと数日の命だろうと思えた。

 しかし、彼女にある日触れる温もりがあった。
 意思さえ芽生えていないような彼女はそれこそ無意識でその温もりにすがり、言葉にならぬ声で懇願した。
 ふわりと抱き上げた腕は白いく細いが力強く、柔らかな黒い衣を纏っていた。
 彼女の頬に流れる髪も真っ黒で、そう言えば貴方に似ていたわ、と彼女は私を見つめて微笑んだ。

 妙齢の彼女は忌み嫌われる存在でありながら美しい。
 濡れたような艶の黒髪に透き通るような白い肌、絶望を秘めた瞬く黒い瞳。
 すっきりとした背筋の華奢な体にシンプルだが質の良いドレスを纏っている。
 私を見つけると優しげににっこり笑い、手招きして話しを聞かせてくれた。

 それは、見たことも無い外界の夢に満ちた世界で、しかし苦さを含んだ物語だった。
 その話とあわせて、私に様々な魔法を疲労してそしてそれを私に授けてくれたりもした。

 彼女は日々幸福に過しているように演じ、幼い私も幸福に過していた。
 時々見せる彼女の翳りを、察することも無く。


 ほとんどの夜が吹雪である山中の森の中にひっそりと暮らしていても、時々人が訪れることがあった。
 それは一目私達の姿を見ると逃げ出したり、そして何か企むように嗤っていたり。

 私はそれを見るととても不快な気分になり、覚えたての魔法を使って追い返してみたりした。
 もちろんその後彼女に酷く仕置きをされたが、それでもこの小さな家を護る騎士きどりでもあったのかもしれない。


 ある日酷く憔悴した彼女が私を呼んだ。

「貴方に名前をあげるわね。マドリガル。今からそう名乗りなさい。」
「マドリガル?」
「そして、明日この場を離れなさい。」

 無表情の顔で、黒い瞳が私を見つめていた。反論を許さぬ硬質な表情。彼女の本意はまったく悟ることが出来なかった。

「飛び方はもうわかっているでしょう?貴方は血が濃いから、聞くだけでそれができるはず」
「貴女は、一緒に来てくれないの?」
「私は魔女。」
「そんなこと知っています」
 私の必死な言葉に、しかし彼女は疲れたように首を振るだけだった。

「魔女は、一生人々に喜ばれることはないわ。でも貴女は違うの。魔法を覚えた魔法使いは人に喜ばれる。」
「なぜ?」
「さあ、なんでだろうね」
 首をかしげて彼女は笑い、さらりと髪をかき上げた。
「外には、様々な人たちがいる。その中には、私以上に貴方のためになる人もいるだろうし、貴方を理解してくれる人もいるでしょう」
「貴女以上に僕を分かってくれる人が、いるはずが無い」

 必死の反論も、彼女には届くはずが無かった。
 彼女は一度決めたことを撤回するような人ではない。

 もう一度、私が何かを言おうと口を開こうとした瞬間、あたりがバチンと音を立てた。

 彼女の感情に空気が震えて、そしてスパークした音だった。
 だんだんと激しくなるそれは、時折小さな火花を生み出した。

「明日、出て行きなさい。」

 静かなその声に、もう、私は何も言えなかった。




 その次の朝、久しぶりに吹雪が止んだ日に、私ははじめて一人で庭の柵の向こう側に出た。
 手に持った物はくたびれた箒と、薄っぺらい手紙一通。そして小さな鳥かごとその中に眠っている小さな卵。
 私が振り向き名残惜しげに住み慣れた家を見上げていると、しばらくして卵が音を立てて孵った。
 欠片をキラキラ瞬かせながら孵った微かに光を放つこの鳥が、私を何処かへ案内してくれるらしい。

 どこへ行けと言うのだろうか、生まれてこれまで私の居場所はいつでも彼女の傍であったのに。

 引き止める声などあるはずが無く、麓の村から活気が聞えて来る前に私は箒に飛び乗って羽ばたく鳥を追った。

 それでも何度も雪に埋れたあの家を振り返り、何故だという疑問に苛まれながら、私はその地を離れた。








「その人のこと、大好きだった?」
 思い出話を始めたマドリガルにレリアスが聞いた。
「多分。私は彼女を尊敬していて、彼女も私を信頼してくれていたんだろう。」
 懐かしさに目を眇めながら、マドリガルが言った。

 彼女はもう、この世には存在していないかも知れないけれど…

「愛していたのだろう…とても」
 マドリガルの無意識の呟きを聴き、レリアスはその幼い少年の顔立ちに、優しそうで老齢な笑みを浮かべた。
「彼女もきっと、あなたを愛していたよ。」
 レリアスは囁き、マドリガルはそれを聴き、かつて少年だったころの微笑を浮かべた。



〈end〉

マドリガルの思い出話し。
ちょっと可愛いマドリガル(笑)

20080216

 
novel