IV --




 ユールの森を、エルフの少年が歩いていた。
 夜の帳が下りて来た。
 星が光りだすのとほぼ時を同じくして、森の木の葉も光りだす。
 白い小さな柔らかな光が、帰路に急ぐエルフの少年の姿を照らし出していた。


 エルフの少年は、時々腰にまいた布に引っ掛けてある革袋を気にするように、ちらりと見やる。
 袋の中に入っているのは、今朝リナムの村の錬金術師から預かった水晶が入っている。
 この水晶は、エルフの少年の友人が錬金術師に頼んでくれたもので、青空の水晶というものらしい。
 今、エルフの少年の住むリリスの森には頑固な台風が上空に住み着いていて、辺りを荒らしまくっている。
 台風がエルフの少年の友人との口げんかに腹を立ててしまい、リリスの森に居座ってしまった。
 もう何日もリリスの森には青空が顔を出さない。
 困ったエルフの少年は、魔法使いの友人にさっさと台風にあやまってこの森からどいてほしいと願いいれたが、こちらも相当意地っ張りの友人はそれを断固として拒否した。
 そのかわり、と魔法使いが笑いながら言った。
 青空を取り戻す方法を教えてあげよう。
 悪戯っ子のような顔をして、魔法使いがエルフの少年に教えてくれたのだ。

『青空の水晶を貰っておいで』
『青空の水晶?』
『私の友人の錬金術師にね、青空を作り出す研究しているものが居るんだ。』
『青空を作り出す?どうやって?』
『さあね、私には錬金術のことは門外漢だから良くわからないけれど、今は結晶化するところまで研究が進んでいるらしいよ。試作品ぐらい出来ているころだろうから、それを貰ってきてくれるかい?』
『だから、青空をどうやって作り出すのさ?』
『さあ。でも、その水晶があれば青空を作り出すことが出来るらしいから、それを貰ってくれば大丈夫!』
『でも、それはまだ試作品なんでしょ?』
『足りない分の力は、私の魔法で補えると思うよ。』


 適当に言いくるめられたような気がしないでもないが、エルフの少年は魔法使いの言葉に従って錬金術師の居る村、リナムに旅立った。  青空を作り出すことのできる鉱石、青空の水晶というもの、この目で見てみたかったからだ。


 青空の水晶という物は、エルフの少年の予想を大きく上回る程のものだった。まだ試作品と聞いていたからか、少し侮っていたのかもしれなと、エルフの少年は歩きながら思った。


 途中森で道を聞いた少年と一緒にエルフの少年はリナムの村の錬金術師を訪ねた。
 彼・・・錬金術師はエルフの少年の友人の魔法使いと外見の年齢はあまり離れていないはずだが、なんだか彼よりも老け込んで見えた。
 これまで苦労をしてきたせいなのかと思った。
 魔法使いから聞いた話しでは、彼は青空の結晶を作り出す研究にただ一人で何年も費やしてきたのだという。きっとそのせいだ・・・と、エルフの少年は思った。



 あの青い光を見たとき、これは、錬金術師のすべての輝きなのだと思った。
 彼の、すべてが、なにもかも、この青い水晶に込められている。
 美しさに、エルフの少年とリナムの村の少年は心を打たれ、ある種の感動を覚えた。
 錬金術師は、無表情で頑固そうな顔をしていて、眉間に皺を始終寄せていた。
 エルフの少年の友人の魔法使いと同じ黒い髪で、魔法使いよりもずっと引締まり厳しい顔をしている人だったが、その、青い光を浴びたその時だけは、なんだか微かに柔らかな笑みを口元に浮かべていて、はじめの印象よりも朗らかで穏やかな感じがした。そのことに、あの少年は気づいたかしら?


 エルフの少年はまだその目に青い光が焼きついているのではないかと思いながら、数日かけてまた来た道を戻りリリスの森に辿り着いた。

 森の入り口に、魔法使いが笑いながら待っていた。
「ただいま、魔法使い。」
 エルフの少年の言葉に魔法使いが微笑みながら言った。

「お帰り、レリアス」

 彼の笑みは、何故か切ないものだったが、エルフの少年にはまだそれが何なのか分からなかった。


 そう、まだ。



 レリアスは見落としていたわけではなく、それは魔法使いとしての、彼の抱える『謎』の一つなのだろうと思っていただけだった。
 魔法使いは何故か他の人間達に比べて長寿だから、それ故悲しみを多く知っていた。
 彼の過去は、森に住み純血のエルフであるレリアスよりも長いものなのだ。
 だからあの笑みの意味も、過去の悲しみと何かが重なった時の物だと思っていた。

 その意味がわかったのはレリアスが森に帰ってきて、青空を数ヶ月ぶりに見ることのできた日の夜のことだった。
 久しぶりに夜の散歩に出ていたマドリガルが、小屋の外で手招きした。

「命を懸けて、彼はやり遂げた。そして私との約束も・・・守った。」
 マドリガルはそう言いながら、傍にやって来たレリアスの顔の位置まで自分の顔がくるまでしゃがこみ、そして夜空をみやりながら遠くの空をすっと指差した。
 レリアスもその方向を見上げた。

 次の瞬間、マドリガルの指す方向に青の閃光が瞬くように輝いた。
 マドリガルの黒い瞳と、レリアスの水のような薄い青色の瞳の中に、空色の青が一瞬にして映りこんだ。
 あっと口を開き夜には眩しい青い光を見つめるレリアスと、切なそうな魔法使いを、清らかなほど青い青い光が照らし出していた。
「ご覧よ、レリアス。あれは彼の命の瞬きなのだよ。」
 魔法使いが言った。
「命の瞬き?」
「彼の、彼の全ての輝き。彼の魂はきっと、あの光と同じ色をしているんだろうね・・・」
 マドリガルの声の渇いた響きに、レリアスは急に悲しい気分になり、瞳に涙を浮かべた。
「あの人は、」
「死んだよ。今・・・」
 レリアスの言葉を途中から遮るように、マドリガルが静かに言った。
「きっと・・・、否、これは確信だ。かれはあの結晶を完成させたんだ。だから命の糧も尽きてしまった。もともと、気力だけで生きていただけのようなものだった。」
 レリアスは青い光に照らされ綺羅綺羅光っている魔法使いを見つめた。
 彼は泣いていなくとも、レリアスよりも悲痛な貌をしていた。
「初めての出会いは、彼が私のところに契約をしにきたからなんだ。」
「契約・・・?」
 マドリガルも、レリアスを見つめた。
「命を永らえさせる、契約を彼と交えた。まだ若い彼が、錬金術師になりたての頃だったか。彼は、その頃からすでに青空を作り出す研究を始めていた。彼は熱意に燃えていた、しかし、それをもろくも崩れ去る時があったんだ。」
 マドリガルは静かに息を吐いた。青い光はまだ遠くの空に瞬き続けている。
「彼の体は病魔に侵されていた。」
 ぼさぼさの黒髪と、げっそりとした細い顔。表情はいつでも硬く、眉間にはいつも皺を寄せていた。身にまとった長い黒いローブの袖口から、骨は太いが肉の削げたような細い手首が覗いていた。
 しかしそれでも、彼の黒い前髪から覗く瞳は、あまりにも強すぎるほどの光を放っていたと、魔法使いは思った。
「彼の命は私のところに訪れた時に既にもう、燃え尽きる、ほんの直前のことだった。風前の灯火とでもいうのだろうか。しかし燃え尽きる、ロウソクに灯る火の様に、その一瞬強く燃えていた。揺らめきながら。」
「・・・・・・。彼の信念は、私の心を強く打ったんだ。私も、見てみたいと思った。彼の創り出す青空を。だから、私は彼に、《青空の結晶を作り出すことを糧とした命》を与えた。それは、今考えて見ればあまりにも残酷なことだったかもしれない。見えなかった命の終わりを私はその時彼に告げてしまったのだから。あやふやだったものを確定した。」
「マドリガル・・・。」
「それでも私は、それ以外の魔法を知らなかったから・・・。」
 魔法使いの瞳にも、涙が浮かんでいた。
「彼は、私に願ったことが残酷なものだと理解していて、だから私も・・・理解しながら残酷な方法で彼の願いを叶えてやった。」

「ねえ、マドリガル。願いを叶えた報酬はなに?」
 レリアスの問いに、マドリガルは彼の肩に顔を乗せながら、ふっと小さく笑った。
 そしてまた、青く輝く遠くの空を見る。
「『錬金術師・ケシュの創り出した青空を私に見せる』こと」


 ―私も、見てみたいと思った。彼の創り出す青空を。―


 レリアスも、輝きを増す空を見上げた。
 本物の、夜明けのもたらす青空と、ケシュの創り出した清々しく眩しいほどの真っ青な青空が輝きながら混ざりあう。
「ああ・・・、綺麗だ。」
 嘆息するように、マドリガルが言った。
 レリアスも、その通りだと、心の底から思った。



 二人は地に座り込みながら、いつまでたってもかき消されることの無い、青空を見上げていた。

 そして、夜は明けていた。

「小屋に入ろう。なにか温かいものでも飲もうよ、マドリガル」
 レリアスがそう言い、ゆっくりと立ち上がった。
 マドリガルがそれを見上げている。逆行のせいで、レリアスの表情は翳り見えなかったが、その表情はいつものように柔らかく優しげに微笑んでいるのだろうとマドリガルは思った。
「そうだね、そろそろ戻ろうか。」
 マドリガルもゆっくりと立ち上がる。
 彼の高い背が、明けたばかりの陽に照らされ、細長い影を作った。
 レリアスがそれを見て楽しげに微笑み、そして小屋の方に向かう。
「―――。」
 マドリガルはレリアスの姿を目で追い、そしてまた空を見上げた。
「・・・さようなら、ケシュ・・・・・・―――。」
 ゆっくりと、言う。
 眩しさに、少し目を細め。

 マドリガルを呼ぶレリアスの声が聞える。
 彼は背を向け、ゆっくりと、エルフの少年が待つ方へ歩き出した。


          おわり


青×3の追記と言うか続編と言うか・・・レリアスとマドリガル側のお話。
青×3から間が経ってから書いた物なのでどーも辻褄合わない所が色々あって直し直し加筆したりしなかったりな感じです。(汗
novel