小さな少年を見つけたのはただの小さな偶然だった。
長らく、それはもう長すぎるほど生き永えてきたこの人生の中で、小さな集落に立ち寄ったのがその始まりだったのだ。

小さな背をした少年に、外套の裾を小さく引かれた。
「ねえ、兄ちゃん。兄ちゃんは旅の人?」
短い柔らかそうな髪が奔放に跳ね、幼い顔の少年が満面の笑みで見上げてきていた。
その丸い瞳は髪と同じ柔らかい色合いで、わくわくと旅人を見上げていて子供らしい輝きに満ちていた。

どこかで見たことがある顔・・・。

不思議な既視感を感じるが、しかし長い人生の中で出会った人の数はそれこそ星の数ほど、それよりも多いかもしれない。
思い出せないことに対して何を思うこともない。
風化した記憶を掘り起こして苦しむことは愚の骨頂だと思う。

シリスは固まってしまった表情筋を僅かに動かして、子供に小さく笑みを向けた。
ぎこちないその笑みだが、微かに笑うその顔は他人から見れば風に揺れる小さな花のように風情のある柔らかな笑みだった。
「君はこの村の子だね。この村に宿はあるかな?」
「ないよ。ここは小さな村だから」
そう言って子供は小さな手でシリスの手袋に覆われた手を取った。
「俺の家に来ればいいよ。俺の家はじいちゃんと俺だけしか居ないんだ」




幼い少年の笑むその顔を見るのが、ほんの少し痛かった。
そして、左手が何故か疼く。




少年に手を取られ小さな村を歩く中、シリスは奇妙な視線に気がついた。
多くは年配者の暗い視線。
居心地のいいものではないが少年は素知らぬ顔で、そしてシリスはその視線にさらされることには慣れきっていた。思うことはあっても目線は前から反らさずに少年の歩に合わせていた。


それは村の外れにある小さな家だった。

温かみのあるその家に、子供は元気に入って行きシリスを笑顔で手招きした。
「じいちゃん!」


「帰ったな、小僧」
二人を迎え入れたのは、優しそうな老人だった。
結構な年であるだろうが、しかしその背はすっと伸びておりその体つきも引締まって力強いものに満ちていた。
「じいちゃん!こいつ旅の人なんだ!」
子供は嬉しそうに言いながらシリスを老人の前に連れて行く。
「今晩、泊めてやってもいいだろ!?この村はよそ者に冷たいんだ、誰も部屋を貸してくれなくて旅の人が凍えちゃうよ!」
今はそんなに寒い季節ではない、一晩くらい野宿をしても支障はない。少し肌寒いくらいだ。
そのことをシリスも老人も、多分それを幼い少年も理解していただろう。
「お願いできるでしょうか?」
そう首をかしげて言ったシリスに老人は簡単に頷き、子供は嬉しそうに笑ってシリスに纏わりついた。
小さな頭が、自分の膝に埋められているのを見てシリスはまた不思議な感慨に至る。
柔らかそうなこの枯れ草色の髪が、真上から見下ろした旋毛。
なぜだろうか、胸を締め付ける。
昔、遠い昔に見たことがあるのだ、きっと。
それはまだシリスが本当に若い、靭やかな少年そのものだった頃。
恋しい、思い出せないほど遠いあの頃。



時刻は夕食時だった。
シリスが聞いてみるといつも二人は庭の小さな菜園の野菜と森で狩りを行い食事を用意しているらしい。

少年と二人で一緒に菜園で一食分の野菜を収穫した後、シリス達は狩場の森へ向った。
彼らが使うのは弓だ。
腕に自信のあるシリスでも、長年毎日弓を引いて狩りを行ってきた彼らには叶わない。
力強く弓を引き、老人はまるで針に糸を通すほどの正確さで獲物を射止めていく。
時々隣りで弓を構えた子供を指導し、弓を引かせていた。
さすがその血を分けた孫息子だ、彼も危なげはいまだ残るが正確にその矢は飛んだ。

日が沈み、濃紺の夜がやってきた頃。
シリスたちは夕食を終え、各々寛いでいた。
シリスは泊めてもらうお礼に、と片づけを申し出た。少ない食器に大盛りに盛られていた料理は全て三人の腹の中に綺麗に納まりった。静かだが、楽しい夕食の時間だった。
こんな時間は久しぶりだと笑みながら、汚れた食器を擦る度にスポンジから溢れる泡の感触と水の冷たさにまた懐かしさを感じた。







少年は既に安らかな寝息をたて、老人のベッドで静かに眠っていた。
久しぶりの客人にはしゃぎ疲れたのだろう、どうやら普段よりも早く寝入ってしまったらしい。
小さな机を挟んで並べられているベッドに腰掛けシリスが穏やかに幼い子を見つめていると、老人が冷えた水が注がれた硝子のコップを手渡してくれた。

シリスが小さく礼を口にする前に、ふと触れた左手を老人は何も言わずすぐに離した。
微かな、まるで自嘲するような笑みを浮かべて老人は目を細めた。
ゆっくりとベッドに戻ろうとする老人の真っすぐな背を、シリスは静かに青い瞳で見つめた。
「いいのに」
呟かれた言葉に、老人はなにをと尋ねることはしなかった。
ただ静かに、ゆっくりと近づき背から回るシリスの腕に従った。胸に手袋の外された白い左手が置かれている。
渦巻く刻印を見て、老人は静かに息を吐いた。

懐かしさの全ての源は、彼なのだ。

「テッド」
老人の背に頭を任せ、シリスは瞳を閉じてしっかりとその名を呼んだ。
返事はない。しかし彼は確りとその名を聞いた。

会いたかった。
幸せになって欲しかった。
平凡なその生活を狂おしいほどに欲した。

ただ平坦な人生を歩んで欲しかった。
家族に囲まれ、笑っていて欲しかった。

お互いがお互いに抱いた夢が、願いが。

こんなところに芽吹いていた。

「僕は、今とても嬉しいよ、テッド。」







翌朝、目を覚ましてまず飛び込んできたのは大きな少年の笑顔だった。
「わ・・・」
「おはよう!兄ちゃん!」
見覚えある少年と良く似た幼い笑顔。


「おはよう」
微かに笑んで挨拶を返した後、シリスはゆっくりと身を起こし少年の頭を軽く撫でた。
柔らかな感触に笑みを浮かべた後寝台から流れるような動作で立ち上がった。

「もうどっかいっちゃうのか?」
身支度をするシリスの後を幼い少年が惜しむように追ってくる。
「そうだね」

「また会えるか?」
「どうだろう、」
濁した言葉に少年がしゅんと切なそうな顔になる。


「そうだね、いつか、君が大人になったとき」

「本当か!?」


「うん。いつか、その時。また会おう」


いつかまた、出会えればいい。
その時君はこの少年の様に明るく笑っていてくれるだろうか。
それとも今回のように穏やかなそれか。


僕は眩しいほどに微笑む少年に笑みを返し、そして彼の背中を見つめた。



何度でも君に出会うには
20080630