#9
想いのほかあっさり簡単に開いたドアをぼくは少し拍子抜けして見つめていた。
セバスチャンは眠りに対して執着を持っていることを知っていたから。もしかして面倒臭がって顔を出さないなんてこともあるんじゃないかと考えていたからだ。
少し不機嫌そうなのはご愛嬌。
高身長。高見からぼくを見下ろしてパジャマ姿のセバスチャンは溜息を吐いた。
「入ってください。いつまでも廊下に居たら冷えるでしょう」
そう言って促されるままにぼくはセバスチャンの部屋に足を踏み入れた。
セバスチャンの部屋は洗練されている。
物は少なく装飾に欠けているがそれは質素と言うことではなく機能性を重視した動きやすい部屋だ。
よくよく見れば分かることだがそれぞれにしっかりとした吟味が有り、それとないセンスが有る。
光源は机に置かれた照明だけだった。
赤っぽいオレンジの灯りが灯し、家具の陰が黒く浮き上がっている。
セバスチャンは何も言わずにぼくの動きを目で追い、椅子を軽く引いて座るように促した。
「こんな時間にどうしました?」
響く声が静かに言った。
「ちょっとね、目が覚めちゃって眠れなくなっちゃった」
セバスチャンは目だけでそうですかというように頷き、何かの書類かそれとも手紙か数枚の紙が雑多散らばった机にぼくに背を向け付きペンを執る。
カリカリとリズム良くペンの統べる音が結ういつの音源の部屋の中で、ぼくは熱心なセバスチャンの背を見つめた。
大きいなあ、と溜息を付き。
こうして彼を見るのもしばらくないのだと思うと無性に焦燥感のような良く分からない焦りを感じ出した。
もう二度と見れないような絶望までも感じ出す。
「熱心だね。」
「色々とやらねばならない準備があるんですよ」
「貴方方も、いろいろと準備があるようだがな」
「ばれてた?」
ぼくの少し跳ねた声に、彼は小さく喉で可笑しげに笑いもちろんですとも。と、かしこまって言った。
「余計なことはするな。面倒をかけられるのは俺なんだ」
「大丈夫〜楽しくなるよ!」
笑ってぼくは彼を見つめた。
しかし、セバスチャンのまるで苦虫を噛み潰したような顔を見た僕は、ほんの少し、心に暗雲を懐いたような気がした。
「ねえねえ、今日はここで眠ってもいい?」
ぼくは強請るようにセバスチャンの渋い顔を見上げる。
「駄目と言っても、貴方は聞かないでしょう?」
「もちろん!」
笑って頷くぼくをセバスチャンの深い青の瞳が見つめていた。
「では、さっさと寝てください。あなたの寝坊癖にはいつも困らされているんだ」
そう言ってぼくをぽいとベッドに投げる。
柔らかいベッドにぼくはバウンドしつつ着地した。
「おやすみなさい、リチャード様」
「セバスチャンはまだ寝ないの?」
「貴方が眠った後に眠りますよ。」
「一緒に寝てくれないの?」
「ご冗談を・・」
セバスチャンは小さな嘲笑を浮かべ、ふっと息を吐いた後ぼくに背を向けまた机に向ってしまった。
ぼくはその広い背中を見つめながら、いつの間にか。
うつらうつらと夢の淵へと誘われていた。
その日、デーデマン邸には大勢の賓客が訪れていた。
ざわりと人々がさざめき人並みをぼんやりと眺めていた。
セバスチャンはツェルニーが持ってきた仕立ての良いやはり深い青のスーツを纏い、気だるげに壁に背を当てた。
好奇心の籠もった幾対もの眼差しをやり過ごし、いつの間にか時間は深夜を指そうかという頃だった。
夕方近くの時刻から始まったささやか(とはあまり言えない)ホームパーティは最初の数時間を過ごした後は幸いセバスチャンはそっちのけで出来上がり、この時間になると時々マダムが熱い視線をちらほら送る程度で目に触れない。
最初のうちはセバスチャンにべったりだったデーデマンは父親に連れられあいさつ回りを終え、後は少々疲れた上アルコールが入ってしまったため休憩を取っている。
まったく、あんな見た目も中身も幼い少年に誰が酒など飲ませたのか。
セバスチャンは先ほど見た顔を赤くしてふらふらと千鳥足で歩く歳若い主人を脳裏に描く。
見捨て置こうとは到底思えない庇護欲をかきたてる小さな背中、幼い顔立ち。
「はあ・・」
溜息を吐き、壁から離れると広間の出口に向う。
足音も無く広間を出たセバスチャンに、気付いたのは彼らと特に親しい少数の人々だけだった。
その一人、ユーゼフは小さくほくそ笑んだ。
まったく、手のかかる子供達だ。
そう思わないかい?と瞳を向けた先には、酔いつぶれたデーデマン現当主。
今の彼は二人の邪魔はできないだろう。
ふわふわする思考にぼくは四苦八苦しながらあたりを見回した。
深い夜の淵。
私室よりも狭いこの部屋はたしか休憩用の個室の一室だ。
いつの間にか窓の外はどっぷりと暮れていて、黒い木々の陰が風に揺れているのが見えた。
遠くからざわざわと聞こえる音は広間の騒がしい人たちの音なのだろう。
久しぶりに活気ついている屋敷に楽しい気持ちになり少し羽目をはずしてしまったか。
散らばる思考をかき集め、どうにかして酔いを醒まさねば・・・とぼくは考える。
水差しを持つ手がおぼつかないけれど何とか集中してグラスに並々注ぐ。
冷たい液体が喉を通り冷やしていく感覚が気持ち良い。
いくら飲んでもすぐに喉が渇き、二杯三杯と水を飲んだ。
今頃セバスチャンはどうしているだろうか。
まさか女の人たちにちやほらされてる?考えるとまた酔いが回りそうになる。微かな怒りが支配する。
窓際まで移動し、揺れるカーテンの合間から外をながめた。
遠くに揺れる明かりを見て、ぼくはそれは手にとどかなセバスチャンの様に感じる。
届きそうで、届かない。
歩いて、果てしない距離を行く後にその灯り・・セバスチャンを間近に、見て、触れることが叶うのだろうか。
かさりと揺れる葉の擦れる音にぼくは瞳を閉じて、動くその音を聞いていた。
涼しい夜風が酒に火照った体に気持ち良い。
ぼうっとしていたぼくの背後で、ノックの音が響いた。
「誰・・?」
振り向き窓を背にし、ノックの響いたドアを見つめた。
「俺です。」
低い響きの良い美声。
「セバスチャン?入っていいよ」
ぼくの言葉にセバスチャンは小さく返事をしてドアを開けて入室してくる。
微かにくたびれた表情をしているセバスチャンを、ぼくは窓際から動かずに招き入れ、小さく笑った
「疲れてるね。」
「当たり前だ・・・。」
眉間に刻まれた深い皺を見て僕はまた良く分からないおかしさがこみ上げてきて、小さく声を上げて笑ってしまった。
「思い出が欲しかったんだよね・・・・。あとは、まあドンチャン騒ぎが目的だったけど」
ぼくのふざけた物言いにより一層不機嫌そうな顔をして、セバスチャンは先程ぼくが使ったグラスで水を飲み干した。
「間接キスだ」
「馬鹿なこと言わないでください」
笑うぼくの視界に、ばっと両側から何かが伸びた。
肌色。
枝分かれしたもの。
手だ。
人の腕がぼくの視界を束縛する。
指が触れた。
静かな時間を破るものは、いつも突然現れるものなのだ。
2007.5.30
そろそろ佳境です。
息切れしつつ書き進めているので色々粗が目立ちますねー・・・
相変わらず色々狙われているデーデマン。
狙われる幼い時期当主・・・萌えです。