#13


 ざんと、一瞬の耳鳴りの後。
 気味が悪いほどの静寂が辺りを包んだ気がした。
 束の間の放心と硬直は惜しくもすぐに解け、ぼくはふらりとしりもちをつくように崩れた。
「おや、どうしたのかな?」
「リチャード!」
 見下す瞳で笑いながらジルベールはぼくを見つめ、そしてドアに立ち尽くすセバスチャンを見た。僕の名を呼んだのは彼だ。
「君は・・・ゲゼルが連れてきたという彼のお友達かい?ずいぶん歳が離れているようだね」
「彼との関係に歳は関係ない。」
 無表情の顔でセバスチャンが威圧的に答える。
 どんな状況下でもこれだ。恐れ入ってしまう。

 ジルベールはセバスチャンの微かに燃える業火に気付いたのか、彼の目を見て小さな怯えを見せた。
「俺は、私はただ彼に使える者。」
「使用人だと?」
「えー?ロード君、彼の使用人だったのかい!?」
 ジルベールの声に継ぎ、セバスチャンの後ろに立っていたゲゼルまで驚きの声を上げる。
「俺はてっきりいいとこのお坊ちゃんだと思ったんだけどなー」
「残念だったな、当てが外れて。」
 セバスチャンは後ろに立ち、大袈裟なアクションでショックを受けるゲゼルに黒い笑みを送った。
「何さ、その顔。」
「ざまあみろと思っただけだ」
 くつりと笑ったセバスチャンはゆっくりと部屋の中に歩みを進めてくる。
 暗い部屋に散らばった、硝子の破片がじゃり・・・と音を立てた。
 歩みはゆっくりだけどその向う先は真っすぐぼくの元だった。
 セバスチャンが近づくにつれ、小さな灯りによりその表情がよく見えてくる。いまだ轟く怒りはしかし静かで、そしてぼくを思ってのことだと思う。そう思えはいつも構えてしまうそれはやけに安心感を思わせる。
 硬直が緩むと同時に、無視していたぼくの奥底が晒され湧く。
 ジルベールの視線を綺麗に無視し、セバスチャンはぼくの目の前に跪く。
「さあ。」
 優しく手を差し出された。
「帰りますよ、リチャード様。」
「待て、私の話しはまだ、」
「貴方の意思など関係ありません」
 振り向きもせず、言葉でジルベールを制止し、青い瞳はぼくを見つめていた。
「遅くなって、申し訳ありません。」
「いいんだ。セバスチャンが来てくれたから、それでいいんだ。」
 ぼくは差し出された手を取り、セバスチャンに支えられながら立ち上がった。極度の緊張がまだ解けきれず、まるで貧血を起こしているようにふらついてしまう。
 気を使ったセバスチャンがぼくの背にそっと手を添えた。
 じんわりと布越しに伝わる温もりは酷くぼくの心を打った。
 また涙が一滴、床に向かい滴り絨毯を濡らした。



「俺は、あるぜ。話し。」
「お前に意見など求めていない!」
 にっこり言い放ったゲゼルにジルベールはまるで威嚇するように激しい声色で言葉を放った。
「聞けってば。」
 困ったように笑い、ゲゼルは部屋の中のデッキに通じるガラス戸に背を預けて立った。
 背後の硝子を通して見えるのはただ、闇。
 森の木々が夜の微かな明かりさえもこちらには寄越してくれない。
 それこそまるで、字の如く見捨てられた屋敷のようだった。
 喧騒、街の明かりも届かぬ深い森の中の洋館にはただただ静寂と、悲しいほどの私怨が籠もるだけだった。
 微かな灯りは憎しみに燃える小さな炎で、それはまるで風前の灯だ。
「妹の話だ。」
「お前の妹など関係ないだろう」
「あるぜ。」

「俺と、あんたの妹の話だぜ」
「私に妹など・・・」
 一瞬の戸惑いをジルベールは見せ、ゲゼルを訝しげに見つめた。
 ゲゼルが背にするガラス戸に、不審を露わにするジルベールの姿が映り込む。

「どういうことさ?」
 ぼくはだまって二人を見るセバスチャンに聞いた。
 話が見えない。
 ぼくがここに連れてこられた理由は彼の仕事を邪魔をした父が怨まれたからなのだろう?そこのなぜ彼の妹が関わるのか。
 そんな言葉は何一つ出てはこなかったはず。
「俺の妹、ローゼ。」
「・・・・・。ローゼだと?」
「そうだぜ、お前の愛したローゼマリー。」

 ゲゼルは疲れた瞳はジルベール・・・いや、彼を通り過ぎその目は彼の背に・・・。

 壁に掛けられた、豪華な金縁に飾られた絵画を見る。

 ぼくらもゲゼルの見るその絵を見上げた。

 そこには綻ぶ花の様に微笑む美しい少女が。
「ローゼは俺の妹、お前の妹。そしてお前が愛していた、ローゼマリー」
「どう言う事だ・・・」
 ゆらりと立ちくらみ、振り向きジルベールもその絵を見上げる。


 黙りこむぼくらをよそに、その女は微笑む。
 淡く発光するように栗色の髪が優しく首元を滑り、波うち髪は少女の体を覆う。
 かしげた首の上、小さな輪郭の白い顔はその滲むような青の大きな瞳を細め、淡く笑む。

「俺たちに、血の繋がりは何も無い。だが、ローゼが、彼女がいたから俺はお前に従ったし、デーデマンを少しは憎んだ。お前と同じだ。俺だって何も見えていなかった。何なのかわからない悲しみに囚われた」
 ゲゼルは自嘲の笑みを浮かべ、絵を見上げ立ち尽くしたままのジルベールの背を見た。
 その背は何も語らない。
 音を、何かが鳴りを潜めたジルベールは祈るように彼女を見つめている。


   2007.6.28
     頭の中ぐちゃぐちゃです。


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