#11
一人足を踏み入れた部屋には長い食卓と並ぶ椅子。
時折揺れる数本の蝋燭の小さな炎が唯一の光源だった。
「ようこそ、我が邸へ。デーデマンの次期当主様。」
「無理やりなお招きありがとう。」
ドアから一番離れた壁側の椅子に、男の影が見えた。
他に人影はいない。
彼が、今回の誘拐の黒幕なのだろう。
「君は・・・・誰?」
「・・・・。私はジルベール。」
低いがまだ若い声が名乗った。
「ジルベール・・・・」
父の、同業者だ。
まだ若い身で有りながらなかなかの手腕だと聞いたことがある。
しかしここ一つ面白みに欠け、後一歩と言うところでいつも父には及ばぬ若者だと父が話したことを覚えている。
一度父に連れられた先でちらりと姿を見たことはあるが、飾りたてた華やかな外見と自信過剰な物腰か癇に障った。
歪められた眉の下、瞳には陰でな歪んだ光を孕んでいる男だ。好感は懐けない。
「突然の誘い。気を悪くされたかね?」
気取った声でジルベールが言った。
「もちろんだよ。誰だって誘拐されれば気分を害すさ」
「誘拐?丁重に御持て成し差し上げろときつく言い渡したのだがね、」
芝居かかった様子でジルベールは肩を竦め言い、申し訳なさそうに笑う。
「まったくあの男、ゲゼルには困ったものだよ」
ゲゼルとはあの男の名だろうか。
にやりと笑い、ジルベールはぼくを見つめた。
「私はただね、君と話がしてみたかっただけなんだよ。いずれ、同業者になる君とね」
「同業者・・ね。でもぼく達はそのときはライバルになると思うんだけど。」
ぼくの返答に男は楽しそうに笑った。そして肩をすくめる。
「たしかに、お互いは敵同士になりうることもある。しかし、お互いで情報交換をしあい、協力して利益を上げてゆくことも出来るだろう。」
「君が、そんな風に誰かに得を許す人間には全く見れないのだけど?むしろ君は裏切って利益を掻っ攫っていく人間だろう?」
ぼくは意識して辛らつな言葉を吐いた。
茶番は結構だ。
温厚に見せようとするその腹の底や、笑みを浮かべたその顔の裏のずるい顔をさっさと晒してしまえば良い。
子供に対して彼は本気で罠を仕掛け、陥れようとした。
痕跡を残さず、ぼくを(ついでにセバスチャンを)屋敷から連れ出し、あわよくば狙うものなど分かりきっている。
この男は。
「君は、余裕がないんだ。」
後のない場所に居る。
それはぼくも同じなのだ。
ただ彼はその立場に揺らいでいて、そしてぼくはその彼により命を鷲掴みにされている。
体力的に不利なぼくが抗ったところで助かる道はない。
ジルベールは、ぼくの言葉に顔色を変えていた。
表情は勤めて取り澄ましたような無表情に近いものを浮かべているが眉間には微かな激昂を彷彿させる皺が浮かび、目は苛立たしくぼくを見下ろしていた。
暗い部屋の中、それは矮小な悪魔の様に見えた。
無言のジルベールを見つめながら、ぼくの思考はセバスチャンへと移っていた。
今頃、セバスチャンはどこに居るのか。
今のところは律儀な性格を気取っているからもしかしたらこの扉の前で待っているのかもしれない。
それともさっきのふざけた男、ゲゼルに連れられて何処かの部屋にでも押し込まれているのだろうか。
・・・・それもないか。
セバスチャンは、強いんだからね。
何が気に食わないのかいつでも仏頂面。
しかしそれでも損なわれないセバスチャンの美徳や美貌の顔立ちを思い浮べ、その立ち姿を思い出し、ぼくは奥底が温まる気になり顔を歪めるように微かに笑った。
「早く本題に入ろう。」
ぼくは早く彼の元に帰りたい。
「取り澄ました世迷言なんて真っ平だよ。さっさと本音を語ればいいんだ。君の上辺だけの言葉なんか、誰が信じるって言うのさ。」
「君は、やはり。」
ジルベールが冷めた・・・しかし奥底に燃え滾る目でぼくを射る様に見つめた。
「やはり君はデーデマンだな。なにもかもをそんな風に上から物を言う。全てが自分の思いのままだとでも言うように、まるで帝王か。」
ジルベールがくすりと笑う。その目にはからかう光が滲む。
「その顔じゃそれよりも女王か姫と呼んだ方がお似合いか」
あざ笑う響きの声で言った。
「君はそれにも敵わない愚者だろう」
「・・・・・。本題に入ろうか」
憎悪を隠さない瞳。
上辺を覆う嘘は引き裂かれた。
「私には病弱な恋人がいたんだよ・・・」
ジルベールが唸るような低い声で話し出す。
「治療費に莫大な金額の金が必要だった。私は死に物狂いで働いたよ。食事も睡眠も削り、マーケティングをし、ささやかな資財を投資につぎ込んだ。しかし、ことごとくそれらの事業は失敗ばかり。なぜか分かるかね?」
だまって聞いていたぼくをジルベールは鋭い狂った視線で射抜いた。
「・・・・・。」
「デーデマンだよ。あるときは先を越され、そしてある時はライバル社を助力しそれ故に私の事業は破綻ばかりだ!まるでこちらが何をしても彼らはなにもかもをお見通しとばかり!まるでこちらの全てが筒抜けなのだ」
なにを、愚かなことを言っているのだろう。
全てがただの妄信的な被害妄想じゃないか。
「そんなことは、ありえない。大体この世界はそういうものじゃないか。誰よりも明確に、誰よりも早く動かなくちゃ勝ち得ることの出来ない世界だ。父は自分の才を自分自身で振るって生きている。君みたいに卑怯なマネなんてしては居ない!」
ぼくの言葉にジルベールは一層怒りを募らせた。
乱暴にテーブルを殴り、その振動で華々しく飾られた硝子細工の花瓶の一つががぐらりと揺らぎ床にたたきつけられる。優雅で華美な花々が哀れに散った。
「私が、卑怯者だと!?」
血を吐くような怒鳴り声に、ぼくの喉が引くりと唸る。
恐怖を感じる。自分ではどうしようも出来ない恐怖。
また暴力に晒されるのではないかと言う恐怖。
恐れている。しかし、ここでひいてしまったら本当に終わりなのかもしれない。
この男に逆らうことは何よりも愚かなことだ。
「卑怯だ!君ほど卑怯なやつなど見たことはない!自分の身勝手で人を動かし、ぼくを誘拐した。暴力と罵声で全て屈させようとしている。自分の力を過信して過ちを犯したのは自分自身の咎であるはずなのに君はそれを見ようとしない。ましてや全く関係ない他人ばかりにその汚名を着せているじゃないか!」
一つ息をつく。
喉がからからに渇き、ぼくの声は哀れに掠れていた。
「なにが、病弱な恋人だよ!何が治療費だよ!そんな物を隠れ蓑にして君はただとにかく金がほしかっただけじゃないか。それに、膨大な富をほしがっていただけだ!善を隠れ蓑にして君は手汚い行為で略奪を目論んでいただけだ!」
「デーデマンを怨むのはお門違いだ!ただ君が、見通す力も無しに、自滅しただけだ!!!」
「貴様っ!!!!!」
激昂したジルベールはこの世のものかと思うほどに恐ろしいほどの恨みを込めた充血した目でぼくを睨み付け、テーブルに砕かれず残されていた花の生けられた重厚な花瓶を掴んだ。
2007.6.6
ピーンチ!
口論だけはさくさく書けました。なんでだろう。