#10
「乳繰り合っていたところ悪いが」
窓から現れた男は陽気な声で言い放った。
「どこを見ていた。お前は盲目か?」
一瞬のうちに暗雲を背負ったセバスチャンが反論し、一歩進みだそうとする。
「お前はなんだ?明らかに侵入者だな」
「まあーこんな夜更けに窓からこんばんわなんてロミオか泥棒かだろうなあ。それか夜遊びする不良息子?」
「ぼくにはこんな兄は居ないよ」
男につかまれたままぼくは小さく反論する。
「おー君がこの家のお坊ちゃんか。ちょっと用事があるんだけど来てくれるか?」
男の指がぼくの額に当たった。
至近距離にいるのか静かな息が項に当たる。
「な、なんでさ?」
「俺のご主人様が、君に用があるんだそうで。ちょっとお迎えを頼まれたのさ」
明るい声が耳の後ろから擽るように響く。
ぼくの目の前のセバスチャンは男をこれ異常ないほど恐ろしい形相で睨み付けている。その表情を向けられているのはぼくでは無い筈なのだがその形相にこちらまで背に冷たいものを感じる。
「あはーこわい顔」
男はにっと笑い(ぼくには見えないけどそんな気配を感じた)ぼくを一層拘束した。
「とりあえず、一緒に来てもらうよ。えと、あと君もその身なりはいいとこの出だよなあ。一緒について来てよー。」
「俺は・・」
「ロードくん!」
男に反論しようとしたセバスチャンを遮るようにぼくは大きく彼を呼んだ。
「ここは逆らわない方がいいよ、ロードくん。」
「なにを・・」
「お坊ちゃんの言うとおりだよー。ロードくん?僕暴力は嫌いだけどお仕事だから手段は選んじゃいけないんだよねえ。」
「・・・わかりました。」
了承の言葉とは裏腹にセバスチャンはいかにも納得いかないと言う表情で僕をぎろりと睨み付けて来た。
でもそれでいい。
彼がセバスチャンの本当の身分、ぼくに仕えるべき人間だとすればどうなるかわからない。もしかしたら口封じされてしまう危険だってある。それなら少しの利用価値を偽って生かせて貰った方がずっとお利口だ。
ばれるかもしれない、その後の危険だって考えてみたがセバスチャンは有能だ。彼は誰よりも気高く、その物腰や威厳は誰をも黙らせてしまうものがある。
下手な貴族よりもずっと貴族らしい。
それにぼくも。
もう嫌だ。
一人であの真っ暗に突き落とされるのは。
ぼくはセバスチャンを道連れにしようとしている。
ずるくて卑怯な考えは、理性が止めようとしても奥底にこびりついているどうしようもない恐怖感がそれをさせてはくれなかった。
ぼくは、どうしようもない感情の鬩ぎあったままの瞳で、セバスチャンの深い、しかし透き通った青の瞳を見つめた。
「わかりました。貴方に、ついて行きます。」
ぼくを見つめ返し、セバスチャンがゆっくりとそう言った。
「じゃ、行こうか」
男はそう言ってぼくを担ぎ上げ窓から身を離す。ちらりと後ろを向いてセバスチャンについてくるように目線で促した。
「ちょ、ちょっと。自分で歩ける!」
抱えられたままじたばたと抗うが男はがっしりとぼくを掴んだまま下ろしてくれない。
「一応自分の手で持ってかなくちゃね、お仕事だからっ」
どこまでも陽気な男をぼくは睨み上げた。
ぼくの恨みがましい視線に、男は涼しげな目をこちらに向けて白い歯を見せて笑った。
「大丈夫ですか、リチャード様」
セバスチャンがぼくの顔を覗き込み聞いてくる。
「そうだぞー。坊ちゃん顔がものすごく青くなってるぞ」
誰のせいだ。
ぼくを眉をひそめぼくを見つめる男をうつろな視線で見上げる。
ランプの灯す車内に入り、宵闇にまぎれて知ることの出来なかった男の容貌を知ることが出来た。
背はセバスチャンを凌ぐほどに高いが、それにしてはひょろりとした体をしている。しかしその外見を裏切る身体能力、現にさっきぼくを軽々担いだのだ。一般人の比ではない鍛え方をしているのだろう。
顔はいつでもふざけたにやけ顔だが、軽く波打つ黒髪から覗く切れ長の鋭い瞳が油断できない翳った光を孕んでいる。
「どーした?じいっと見つめちゃって」
ぼくの視線に男が笑う。
「別に。」
「惚れた?」
首をかしげて言う男に・・・
「ふざけないでください」
堪えたのはやはり暗雲轟くセバスチャンの低い声だった。
「ふざけてないのになー」
男のふざけた声を聞きながら、ぼくは流れる景色を見た。
誘拐するのに道筋を憶えさせてしまっていいのかとちらりと考えたが、男の気の抜けない目を思い出すとまさかここまで間が抜けた事を許すとは思えない。
意図的だ。
ぼく達が自身の力で抜け出すことなど無いと確信しているのだろうか。
それとも、この男の遊び心か。
「ねえ、ぼくらはどこに連れて行かれるんだ?」
「ついてからのお楽しみさ。」
男は歌うように言ってぼくにおなじみの笑みを向ける。
溜息を付き、ぼくは隣りに座るセバスチャンに凭れた。
「本当に、大丈夫なんですか?」
また過去のことをフラッシュバックして取り乱すのではないかとセバスチャンも心配しているのだろう。
「セ・・・、ロードくんが居てくれるから大丈夫だよ。」
窓の外はだんだんと街の活気を失っていき、街並を抜けた木々の生い茂る林を走っていた。
しかし道は舗装されているのか車体はたいした振動を感じることなく滑るように走り続けていた。
「まだ着かないの・・・」
うんざりとぼくは呟く。
「もー引き返さない?ぼく疲れたよ」
「俺も疲れた」
男もうんざりしたようにぼくに同意し、しかし首をぶんぶん振る。
「ここで引き返したら俺が怒られる」
「勤め人はつらいねえ」
「リチャード様、青い顔して話さないでください。」
「暇で・・・・」
「あと少しで到着だ。それまで辛抱してくれよ」
男は困ったようにして言い、ぼくの頭をぽんっと軽く叩いた。
「・・・・触んないでくれる」
「冷たい・・」
うっそうと茂る森の中。
ぼくらが連れてこられたのは森の中にあるとは思えないほどの広大な洋館だった。
人が本当に住んでいるのか、全く人の活気が感じられない。
「ここ?」
「陰気な場所でごめんねー」
男は場にそぐわない声で言って、屋敷の中にぼくらを促すように進んで行く。
玄関からすぐに覗く階段を上がり、明かりのない暗い廊下を抜けて男が足を止めたのは両開きの大きな扉の前だった。
その暗さに、ぼくはきゅっとセバスチャンの服を掴む。
「この部屋の中だよ。あ、でも」
「な、なんだよ」
「ロードくんは俺と一緒に別室に行こうね。」
「なんで!?」
「だってロードくんは本当は招かれざる客なんだよねー。うちのご主人様無粋な客が来たりするととっても不機嫌になっちゃうんだよ」
なんで。
ここまで来てぼくはまた一人になってしまうのか?
「俺だって、そんな心細い顔した坊ちゃんを一人差し出すのは心苦しいよ。でも、ここであの人の意に背く行為はいけない。」
「痛い目にあうのはいやだろう?」
男はにんまり笑った。
2007.6.3
相変わらずオリキャラが出張ります。
デーデマンは元気が無くても口が達者なイメージがあります。
上手く表現できていないけど・・・