愛を召しませ
か細いリオンに引き上げられた。これは少し恥ずかしい。
泉の水に冷えた体は強ばり、上手く動かすことが叶わなかった。
剣を扱うことが嘘のような、白く繊細な手がスタンの腕を恐ろしいほどに力強く掴み、岸へと引き上げた。
冷たい水を含んだ衣服は重く、体に纏わりついた。
意味もなく、ほっ・・・と息をつく間も与えずにリオンは濡れ鼠なままのスタンを乱暴に引き寄せ、滴りごわついた金髪をぐしゃりと引っ張り、綺麗な顔にスタンを引き寄せる。
紫水晶の瞳に、心なしか表情を無くして情けない顔をしたスタンが映り込む。そして青い瞳には美しい少年が。
近すぎてもう何も見えない。白い肌と、かすかにちくりと彼の睫毛が触れた。
「リ、オン・・・・」
掠れて途切れる声で必死に紡ぎ、スタンは力の入らない体を持て余す。
濡れてしまう。熱が逃げていってしまう。
刹那的な何かが、感情が、熱を燃やしそして酷く凍えさせてゆく。
手が届くことも無いと察しておきながら、無謀にもそれが欲しいと伸ばし、欲する。それが、いけないことだったのか。少しでも触れたそれはこの上なく甘美で、快感で、幸福で、刹那に抱かれたものは心を焦がした。
脳裏に翳む霧が何をかもを見えなくさせる。
ただ目前の黒髪が、その指が、肌を擽り撫でる事がとても心地よくうとうとと現実から目を背けさせる。
ゆっくりとまどろむスタンを、リオンは抱え上げながら笑い見つめた。
凍えるような泉に浸かったスタンの体は氷かと思わせるほど冷たく、日焼けした肌がやや青い。艶のある唇も色を無くし哀れなほどだ。
こんなところまで逃げるからだ。
ベッドから、部屋から、宿から、村から、リオンから逃げるから。何もかもを隠そうとするから。
なぜこんな夜の森に逃げ込んだのか。まるで魅入られるように。
そして翌朝になれば何もかも忘れたように、振るい落としてきたように、亡くして来たように素知らぬ顔で笑うのか。
許すものかと、冷ややかな怒りがこみ上げてくるのを冷えた脳裏で感じた。
食むようにと、濡れそぼった肌に口をつけると面白いように震えて反応を返す。
触れたまま口元を吊り上げると、それを肌で感じたのかスタンが青い目でこちらを見た。
名を呼ぼうか、そう一瞬躊躇したがそれはせずに、優しく狂わすように触れていく。渇かない金の髪がそこらにこびりついた。
手よりも、足よりも、しつこく絡みつき張り付くその髪が何をも示しているように感じた。
離れる必要など感じない。
こうして絡んでいれば良い。
まただ。
また触れて、冷えた感情や様々な感覚に熱が灯される。
それが、毒だと。この身を焦がし殺す毒なんだと気付いた時には遅かった。
それを得たいと思ってしまったし、リオンから手を離そうとするたびにまた感覚のどこかが麻痺するようで。
「何も考えるな。スタン」
耳朶を触れながら直接呟かれた声は、音さえ立てずに胸の底に小さく落ちて当たった。
砕けたように、破片がじんわり滲んでゆく。
「まるで、淀みがどんどん溜まっていく様なんだ。」
寒さに震え、動揺に掠れた声でスタンが呟いた。
「・・・・・・」
「それが、得たいと思うたびに蝕んでく。触れて、感じて、欲しいと思うたびに死にそうに辛い」
不確かな感情が、指先から吐露するようだった。弱く力をこめて触れた柔らかで靭やかな黒髪が指先を擽った。その接点からの侵食を、蝕むものを感じて脳が冷ややかに冴える。
しかし混乱は全く冷め止まない。
深い夜に浸かった夜にふさわしい静けさの中に、葉が擦れる音ががさがさと騒がしい。小さなそれさえも邪魔だと感じるほどに、リオンの鼓動や息の使いや。感じるもの全てを何も零さずに捕まえたかった。
外音など邪魔なだけ。
「寒いのか?」
頬を撫でながら問いかけられた。
「よく、わからない・・・。なあ、これは何なんだろう。お前を思うたびに、こんなに苦しむハメになるこれは一体何なんだろう。小さな言葉なんかじゃ収まらないようなこれは、」
気が狂うほど、痛ましいほど、思うたびに痛覚と共に削がれてゆくと、腐り落ちているの何かを。必死に掬う事は不可能なのか。元に戻すことは出来ないのか。
甘ったるく痛々しい想いはべったりとそこらに食い付きなぜそれは削がれてゆかないのか。
愛と言う名の、不確かなこの情は、やはり。
「蝕む毒。」
この身を貪る。
きっと不治の毒。
ぱさりとスタンに黒髪を下ろしながらリオンは言った。
「毒ごとお前を食うまでだ」
その毒で。
「でもお前に死んで欲しくないな」
きっと叶わない願いだろう。
きっと俺達は、互いの毒で死んでいく。
毒を召しませ、愛と言う名のこの、愛と共に蓄積された極上甘美なるこの毒を。
でもいっそ死んでしまいたい。
2007.9.5
カオスな話だ・・・
後半はとにかくリオンに「毒ごとお前を食べる」的なセリフを言わせたかっただけ・・・!
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