紅茶の香りに主人ユーゼフとその来客セバスチャンは心なしかその表情を和らげた。


ぼくの主人はとても変わったお方だ。
このフラン○フルトで主人の名前を知らない人は多分いない。それに比例して怯えを見せない人もいないだろう。
そんなぼくの予想を裏切ってくれたのが彼、ぼくの主人と表面的には平和にお茶を楽しんでいる黒髪の美青年だ。
彼は先日この屋敷の向かいに引っ越してきたロード・セバスチャンという名の近頃頭角を現した若手の青年実業家だ。
その美しい顔、聡明な頭脳、そして噂によると悪どいほどの手腕でフラン○フルトの政財界にたった一代で上り詰めたらしい。
退屈を嫌う我が主人はもちろんそんな希少な青年を気に入り、自分の住まう近くへ彼を寄越すよう手を回したらしい。

きっと聡明な彼はそれに気付いているだろう。
しかしそうは振舞わない。

ただ背間話の様な話をしながらお互いで腹の探りあいをやっていたようだ。


「疲れるねー」
主人の部屋でお茶を淹れて来た後にぼくは使用人たちが控えている部屋に駆け込んだ。
本当なら隣りの部屋で待機していた方が良さそうなものだが、もし主人が何か入用になったとしても不便は無い。それはこの屋敷に住む人々が通常では考えられない力を持っているからだ・・・・としか言えない。このことについてぼくは深く考えたくない・・・

「お疲れ様です、デーデマンさん」
ロベルトくんとアルベルトくんが二人して迎えてくれた。
不思議な双子は無表情のまま、労いと共にぼくに紅茶を差し出してくれる。
「ありがとう」
「旦那様たちは一体どんな話をしてたんですか!?」
ぼくたちに比べて勤続が短くまだ染まりきっていない(というより能天気ゆえなのだろうか)ピーターくんが瞳を光らせながら好奇心露に聞いてくる。
「さあ?」
微妙な笑みで濁していると、新人であるのに悟りきった顔のブラックファルコンくんが「聴かない方が幸せな気がしますけどね」と呟いた。

「おや」
ロベルトくん(かアルベルトくん)がふと顔を上げた。
「ユーゼフ様がデーデマンさんをお呼びのようですよ」
「ああ、そう。じゃあ行ってくるね」
なぜ彼らがそれを関知できるのか・・・・ただ言えるのは、見ざる聞かざる言わざる、だ。われ関せず。むしろ関してしまったらこの世の終わりだろうとぼくは思っている。
便利だしまあいいか、ぐらいでいいのだ。
「失礼します。」
そっと扉を開けると主人が静かな目でこちらを笑いながら見つめていた。
部屋の中には主人一人しかいない。いつのまに客人は帰ってしまったんだろうか。
「セバスチャン様はもうお帰りになられてたんですね」
「ああ、引きとめようと思っていたんだけどね。どうやらこのあと予定があるようで叶わなかったよ」
青い瞳で楽しそうに話す主人をぼくは不安を抱きながら見つめた。
残念だったかい?とその目がぼくに言う。
この人に隠し事をするのは無理なことなのだ。
「そうですか、残念でしたね」
ぼくは出来るだけ穏やかに答えて綺麗に空になったカップを片付ける。
「君って相変わらず不器用だよねえ」
少しからからかうような、呆れたような声色で主人が言った。
「そうかもしれないね」
そうかもしれない。主人・・・ユーゼフの言うことはなぜかいつも何の疑問も持たずに胸に落ちてくる。人が聞けば一種の洗脳のようなものかと疑念を抱きそうなことだがぼくの場合はちがう。未だ考えることが出来るはずだ。そう、認められているから。
「以前の方が器用だったんじゃないかい?」
「・・・・。そうだね。そんな気がするよ」
何が変わったのだろうか、異変を探してみるとそれはすぐに僕の脳裏に浮かんできた。
そうだ。
ぼくは手に持った二つの繊細なデザインのカップを見つめた。

真っすぐとした背筋、艶やかな黒い髪。怖いほどに意志の強い・・・深い青い目。
彼だ。




数日後、ぼくは主人と共にセバスチャン邸の夜会に訪れていた。
フラン○フルトの名だたる政財界の大物、または才能溢れる若い実業家。未来有望な彼らが落ち着いた夜会に活気を生み出し、会場であるホールはざわめきが満ちていた。
騒々しいほどだった。
一見邪気の無い、美しい笑みを振り撒く主人の後ろに控えながらぼくは彼らをそれとなく観察した。
主人と同じく、ぼく自身もどうやら退屈を嫌うらしい。何かを考えていないと何もかもが嫌になってしまいそうだったのだ。
「退屈かい?デーデマン」
やっと人垣から抜け出した主人が相変わらずこびり付いたような笑顔で聞いてきた。
「そんなことはありません。」
小さく返しあたりを見回す。
夜会の始まりの挨拶以外、この屋敷の主人が見当たらない。
「ああ、セバスチャンね」
ぼくの心をさも当然の様に読み解き主人は何のことも無いように返事を寄越した。あまり外で人外を披露しないで欲しい。
「彼几帳面に見えて結構面倒臭がり屋で適当な性格のようだからね。自分が必要になる時まで顔を出さないつもりなんじゃないかな?ほら、ホスト役も女史に任せてしまっているようだしね」
そう言って瞳の向いたあたりを見やると、ぴしっと着物を着こなした婦人が客である貴婦人達に囲まれて談笑していた。
「はあ・・・」
気の抜けたような声を思わず漏らしてしまった。
「君、近頃隙があるようで面白いね」
かつての頃に戻ったみたいだ。言外に主人がそう言う。
「さて。僕はもう一回りして顔を売ってこようじゃないか」
もう顔はそこら中に知れ渡っていますよ。いや待てよ、名前やおぞましいほどの噂と畏怖ばかりが一人歩きして広まってる可能性のほうが高いだろうか。
ここで物腰の柔らかな好青年(しかも繊細な美形)であることをアピールして客を増やそうという算段なのだろうか。
そうなると・・・・どうやら彼も一枚噛んでいるのだろう。(否、一枚どころではないだろう)
「その通りだよ」
ユーゼフが楽しそうに笑う。
フラン○フルトがこの主人と強悪な男に掌握されるのも時間の問題なのかもしれない。


ぼくは主人に先に帰るように言い付かった後うろうろと会場をさ迷っていた。
人の多さに疲弊しふらふらと辿り着いたのは人気の無い広い回廊だった。
壁に掛けられた小さな電飾がオレンジにあたりを微かに照らし出していた。
絨毯がひかれているため足音が吸収される。

「デーデマン、と言ったか?」
「えええ!!」

気配も感じさせずいきなり呼ばれたことに驚き声を上げてしまった。

「どうしたんだ?」
振り向くと不服そうな顔をした夜会の主催者、セバスチャンが立っていた。
「い、いえ。いきなり声をかけられて驚いただけで・・・・」
やかましい心音を耳のうちに聞きながら一生懸命笑みの形を作る。が、絶対に強ばっているだろうことは容易に想像できた。
「大きな声を上げてしまってすみません!」
「いや、こちらも非があったな」
「い、いいえ」
おかしい・・気配がなく声をかけられるなんて日常茶飯事で慣れている事なのに。他所だからと言って油断をしていたのだろうか?ぼくもまだまだ修行が足りないようだ。
「えーと、なにか御用でしょうか?」
「客人がやけに奥まった場所にいれば誰だって声をかけると思うが?」
「そーですよね・・・」
気まずい思いを感じぼくはふいと視線を彼からその周辺を巡らせる。
できればすぐにでも離れたい。
自分でも分からない。しかしこの人に惹かれてしまっているのはどうやら事実のようで、早く逃れたかった。
「すみません、すぐに去ります。」
小さく頭を下げて逃げるようにぼくは逃げるように急ぎ足でこの場を去ろうとしたが、しかしそれを彼は許してくれなかった。
「あ・・の・・・」
ぼくのか細い問いの声を聞いて、セバスチャンも驚いているようだった。

力強く、彼の手がぼくの腕を痛いほどに掴んでいた。

「な、んだ?」
微動だにしないと思われていた無表情に新たな面が覗かれる。
微かな驚愕に満ちた白皙の美貌。
ぼくの方が聞きたいんだけど・・・・なんて大きな口は叩けない。ただ微かに疑心を込めた目でセバスチャンを見上げただけだった。


よく、わからない。
だけど掴む腕の温もりを感じてやけに安らいだ心持ちになった。
なに?これ?
その疑問は彼も感じているようだった。
沈み込みそうな程の深い青い瞳は不安そうに揺れていた。
おかしい。
彼と出会ってからまだ数刻も経っていない。しかしその人柄を知ることは容易だった。
あのどす黒く不可解な主人に仕えているからか、ぼくは様々な人たちの様々な内側、裏側。様々なものを窺い見てきた。
だからこそ、このセバスチャンという男の本質も、全てとは言えないがその片鱗を見定めるとこが出来たと思っていた。
だが、彼はこんな小さなことに途惑うような男には見えなかった。
それともこれほど細やかなことだからこそここまで戸惑いを見せたのか。
「セバスチャン様?」
彼は顔を顰めながらゆっくりとぼくの腕から手を離した。
セバスチャンは宙に浮いた手をまるで掴みどころがないようにさ迷わせた後、緩くその手を握り締めた。
僕は何も言わずその様子を見つめていた。

「不思議な感じがするんです。」
小さく呟いたぼくの言葉にセバスチャンは青い瞳を鋭くぼくに向けた。
「そうだな、」
そう言って、彼は小さく笑った。
彼もぼくと同じように感じているのかと思うと、ぼくはそれこそ不思議なほどの喜びを感じた。

早くここを去った方がいい。
しかし離れ難い。そんな風に名残惜しむことが出来るのは恋人や家族など酷く近く親しい者たちの特権だと思っていた。
それとも、やはりぼくは彼とそんな風に親しくなりたいのか?
心の奥底で望んでいることは自覚している。考えるたびに、焦燥がこみ上げるのだ。

動揺を押し込めようと躍起になっているぼくを他所に、セバスチャンは何かを一瞬考え込む素振りをした後またぼくの腕を掴み手に力を込めた。
「うあ」
声を上げると同時に強く引っ張りこまれ、衝撃と共に顔にするするとした衣の感触とそれに包まれた引締まった硬い体を感じた。
至近距離に、
爽やかなフレグランスが薫る。

「な、に・・・を」
縺れる舌で必死に問う。
「わからないことがあるのなら、それが何か解明しようとすることはおかしくないだろう?」
低い声が耳朶に近いところから響いて聞こえた。
それだけのことに息が詰まる。
しかしなぜ、ここまでに心が躍り、苦しいほどに居心地が良いのか。


すべて分かっている

これは、一種の洗脳のようなものなのかもしれない。陶酔だ。
でも。

この苦いほどに甘い感情に流されてみるのも良いかもしれない。
それがまるで柔らかな真綿で首を絞めるようなものだとしても。


end

やっとこさ完成しましたー
遅刻魔で申し訳ありません・・・・・!

菫月様からのリクエスト内容は・・・
もしも、デーデマンがユーゼフの執事で、セバスチャンが隣の主人だったらというパラレル設定でのセバVSユーゼフ×デーデマン
あれ・・・VS・・・?してない・・・・
でもセバスチャンとの間には無い微妙な絆をデー様とユーゼフは築いているわけで、そこからデー様の全てをもぎ取ろうというのは至難なことだと思われます。
所有欲のようなものを抱いているユーゼフもきっとデー様を放さないと思います

稚拙なものですがお持ち帰りいただけると嬉しいです
背景の画像は素材サイト様七ツ森からお借りしました。
DLする場合はそちらからお願いします。
20080529